テキストサイト界が衰退した理由

 テキストサイト界が衰退した理由はなんだったのだろうか。考えられるものをあげてみた。
 
1.重要サイトの閉鎖・更新停止による活力の低下
2002.03.31『兄貴の館』閉鎖
2002.04〜 『侍魂』更新頻度低下⇒停止
2002.07〜 『ちゆ12歳』更新頻度低下
2002.09  『ほかん庫』の停止
 上記サイトは「痛い系」「フォント弄り系」「VNI」の重要サイトである。重要というのは、アクセス数が大きいと言う意味のほかに「コミュニティを牽引する力がある」という意味である。

 ところで、テキストサイト系のところが不況に見えるのは事実だと思う。でも、それは当然なのだ。ReadMe!Japanが牽引し、ホソキン氏が話題を提供した上に、ちゆ12歳侍魂という巨星が登場してテキストサイト黄金時代が生まれた。しかし、この2サイトが更新しなくなり(あと斬鉄剣も)、それに取って代わるだけのサイトが登場しないのだから、かつての激しいパワーがなくなって見えても当然である。ごく少数のサイトがネット界を牽引する、という構図は何ら変わらない。ネットではだれもが情報発信できて民主的ですね、というのは、それはそうなのだが理想論であって、実際には傑出したカリスマ運営者が大勢を決めてしまうのである。そういう意味で言えば、ムーノーローカルはムーノーデーに多数のサイトを巻き込むパワーがあったが、探偵ファイルろじぱらにはテキストサイトを牽引するという意味でのカリスマ的オーラは残念ながらない、ということだ。これは個々のサイトそれ自体の面白さについて言っているのではない。他のサイトを追従させる(あるいは模倣される)パワーということだ。

「個人ホームページ不況」とマニア率・カリスマ論[絵文録ことのは]2003/11/30

 この松永氏の文と私の考えはほぼ一致する。そして「コミュニティを牽引する力がある」サイトの寿命は短い場合が多い(最近は情勢が変わってきているが、当時はそうだった)。特に『兄貴の館(サポセンではないほう)』の兄貴氏はまさに「コミュニティを牽引した」人だった。
 
2.アクセスアップ論・サイト論の流行と論争の活発化
 2001年9月5日、『堕落誌〜塾憂』はアクセスアップ論を開始をきっかけに、アクセスアップ論・サイト論が多数書かれるようになる。

9月5日、堕落誌〜塾憂でアクセスアップ論開始
その後、アクセスアップ論が連鎖的に広がる(さと本(ただし現在はTOPからリンク削除済)、時を越えて伝えたいモノ(コラム参照)、面会謝絶(読物参照))
その他アクセスアップ論関係は、荒廃の歌の、「サイト論・アクセスアップ論リンク先」を参照

- BlackAsh -

 これにより「テキストサイトとはこうあるべき」といったような各人の考えが表に出るようになり、感情がぶつかることとなる。
斬鉄剣VSG∽FORCE(2001.11.22〜2001.11.26)[斬鉄剣][G∽FORCE]
・堕落誌騒動(2001.11.xx〜2001.12.xx)[堕落誌][LINE ON]
・1・17事件(2002.01.16〜2002.01.18)[斬鉄剣][無情な日常][無題]
・魚類の乱(2002.01.25〜2002.03.31)[鯛ページ][斬鉄剣][ケルベロス][無題]
・植物の乱(2002.02.03〜2002.05.16)[戦意][無題][斬鉄剣]
・「俺はお前が大嫌いだ」事件(2002.07.30〜2002.08.03)[堕落誌][LINE ON]
・仁騒動(2002.08.01〜2002.08.17)[仁さんの徒然草][LINE ON][堕落誌]
・ROVNI騒動[バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳(偽者)][るぅりん☆6歳(一般人無双・名雪)]
 論争・騒動事の影響としては『テキストサイト界の「居場所」としての魅力を低下させた』という事になるだろう。
 
3.ブロードバンドの普及の伴う、新たな娯楽への移住
 2002年はブロードバンド・常時接続を生かしたネットゲームのサービスが増加。VNIクローン達がネトゲに移住。ROVNIに代表されるように。一部のテキストサイトネトゲプレイ日誌に変化。さらにこの時期はネット上で本格的な動画時代が始まったときであり、2002年末に第一回目の紅白FLASH合戦が開催された。
 
4.ブログツールの普及によるハイパーダイアリーへの回帰
 2002年11月に起きた「ブログ騒動」は結果としてブログという言葉を広め、ブログツールの存在が一気に知れ渡ることとなった。2003年以降、ブログツールあるいは商業のブログサービスを使う人が一気に増えることとなる。ブログツールはテキストサイトにも応用可能だが、より日記に向いているため、ブログツールを使ったサイトの多くは自然と日記になった。
 
 
 と、挙げてみたがここで気が付くことがある。上記事例は殆どが2002年ということだ。私が「テキストサイトブームの終わりは2002年」と言っていたのは、まさにこの理由による。これだけのことが同時期に起きてしまったことはテキストサイトにとって大きな不幸であったが、テキストサイトブームがあまりにも大きなブームであったため反動も大きかったということなのかもしれない。