『ろじっくぱらだいす』が提案した「Web投げ銭」とその反応

 掲題について調べていたが時間が無いので解説は無しの方向で。
 
■98年に松本功氏が投げ銭システムを提案
投げ銭システム推進準備委員会
投げ銭システム推進準備委員会(旧URL)

1998年4月30日 大道芸人をめざそう
 
大道芸人は辛い。パフォーマンスがうまくて、お金を払ってやろうと思わせなければ、だれも空き缶にコインを投げ込んでくれない。劇場のように入場料があるわけではない。道ばたでたまたま、芸が行われているのに遭遇して、足を止める。芸がそこそこ面白いだけでは、だめだ。こいつに100円でもいいから、お金を払ってやろうといく気持ちになってもらわなければならない。楽しませるだけではなく、財布のひももゆるめないといけない。こいつにはお金を払ってもいい、こいつが生きけた方が、世の中が楽しいと思わせたらしめたものだ。いつもよりも多くのお金を払ってくれたり、豪華な夕食をごちそうしてくれるかもしれない。
 
なんで、大道芸人の話と思われるかも知れないが、現在のWEBの情報発信は、大きな通りで、芸を延々と見せている状態に近い。だれか、後ろに旗を持って立ってくれる広告主が現れない限り、その芸にはだれもお金を払ってはくれないのだ。もしかしたら、ちょっとばかりカンパしてやろうという気持ちも見ている方にはあるかもしれないのに、そこに空き缶や帽子が無いためにお金を投げ入れることができないのだ。芸人も、そこでなにがしかの金銭が得られれば、生活の基盤をシフトすることができる。他で稼いで、その分、芸に回すのではなく、芸だけで食えたり、あるいは「副業」にかける時間と労力を減らすことができる。また、投げ銭を受け入れることは、批評を受け入れることでもある。励みにも成るし、頑張っているページが生き延びることが出来るすべとなる。
 
もし、この「投げ銭」システムが、軌道に乗れば、大げさな課金システムもいらないし、組織に依存しなくても、生きていけることが可能になる、NPOやボランティア組織も生き延びやすくなるというものだ。現在、大勢となっている集金システムとは全く違ったお金の流通のシステムができれば、もっと自由になれるだろう。また、この方法はインターネットとも親和性が高いものだと私は信じている。親和性が高いといっても、無料なのが正しいという考えとビジネスにならなきゃ意味がないという声の2極に分かれている現状では、同意してもらえないかも知れない。この点については、2極とは、異なった論理こそが必要なのだ、ととりあえずいっておこう。分かる人にはすっとわかるが、そうでない人には時間がかかる。今日のところは、置いておくが、このシステムが稼働するかどうかで、インターネットが面白い、市民のものになるのかが、決まると言っておきたい。

1998年4月の日誌

Bitliteracy Long Interview
投げ銭で知の交流を−−“投げ銭システムをすべてのホームページへ”決起集会開催
投げ銭と青空文庫と:電子テキストについて考える
 
■2002年『ろじっくぱらだいす』が「投げ銭システム推進準備委員会」を参考にし「Web投げ銭」を提案。

2002.05.11
 今日は思いつくままにダラダラ書き連ねますね。「いつも思いつくままダラダラじゃん」と思った方、1歩前へ。(笑顔)
 
 「趣味のサイトでお金を稼げないか。」管理者ならば誰でも一度は考えるでしょう。自分の作ったコンテンツを元にサイトで大儲け、まではいかなくとも、電話代とプロバイダ料金ぐらいはカバーできないか、と。逆に良質のコンテンツを作る管理者がお金を得ることは、モチベーションの維持や新規コンテンツへの意欲にも繋がります。
 
 有名サイトなら「雑誌にコラムを書く」などの仕事があるでしょう。しかし普通のテキストサイトがお金を稼ぐには「広告を付ける」しかないのが現状です。無料スペースを使っているサイトは、他社広告禁止のためそれすらもできない。しかも、「あのサイトは面白いから広告をクリックしてお金をあげよう」というのはちょっとおかしい。広告の概念からは外れています。
 
 じゃあサイトを有料にしてはどうか。――きっと結果はみなさんの想像通りになるでしょう。みなさんが毎日見ているサイトのほとんどは、無料だから見ているのです。お金を払ってまで見たいサイトがいったい幾つありますか?有料化の結果、モチベーションの維持どころかコミュニティ全体の衰退にも繋がりかねません。
 
  
 
 ではどうするか。
 
 
 
 私は最も適切なシステムは「投げ銭」ではないかと考えます。
 
 
 
 みなさんは路上で大道芸を見たことはありますか?大道芸人は芸を披露したあと、観客の前に帽子を置きます。観客は思い思いの金額をその帽子に入れます。「投げ銭」です。
 
 このシステムのメリットは、お金を払う払わない・金額の大小は客の自由意志であり、無料で見続けてもまったく問題ないということです。また管理者は仕事と違って責任がないため、趣味のレベルで無理なくコンテンツを製作できます。また面白いコンテンツは評価され多くの投げ銭を貰えるため、アクセス数などという目に見えない数字よりモチベーションの維持・向上も図れます。
 
 では、この投げ銭システムをWebで実現するにはどうすればいいか。
 
 最も簡単なのは、自分の郵便・銀行口座をサイトで公開することです。しかし普通口座で振り込みを受けるためには、自分の本名を晒さなければならない。また手数料も問題です。誰も100円を投げ銭するために数百円の手数料を払おうとは思いません。
 
 実は、すでに幾つかの企業が投げ銭システムを考案しています。しかし、CGIが必須だったりNGO専用だったりと今ひとつ魅力を感じないのです。また、閲覧者がわざわざそういうシステムに契約してまで投げ銭しようと思うかどうかも問題です。
 
 この課題は新しいビジネスチャンスになるのでは、と思っています。例えば10円投げ銭の手数料を1円とします。1円って安いように思えますけど、10000円集めたら手数料1000円ですよ?この時代、銀行で一万円振り込みに手数料1000円取ったら大儲けですよ。
 
 ・小額の振り込みが対象で、
 ・手数料が安くて、
 ・個人対個人(C to C)向けで、
 ・汎用性がある金融取引システム
 
 そんなシステムがあったら、この界隈で一気に広まると思うんですけどねぇ。どなたか作ってくださいませんか?個人的に、「メールに添付できる電子マネー」を強く要望。投げ銭からインターネットショッピング、お年玉、ご祝儀と幅広く使えるやつ。
 
 
 
 
 
 ちなみにこれに絡んで「株」のしくみを組み合わせたアイデアもあるんですが、これはまた次回の機会に。今宵はここまでにしとうございます。ダラダラと長文もたまには…ね?

日想(2002.05a)

2002.06.11
 ろじぱらでは、日々の日想を更新する裏で、中期的に一つのテーマに取り組むことがあります。過去の例を挙げると「えっちトーク(おしりえっち)」「801」「泣きゲー」「クリスマス」などですね。で、最近のテーマは「お金」。
 
 ぶっちゃけ、サイトでお金を稼ぐことはできるのか?
 
 「ネットだけで生活できればいいなあ」と言うサイト管理人は少なくありません。ですが、実際にその手段ついて考えているサイトは案外少なかったりします。あるのは「広告の載せ方」ぐらいでしょうか。
 
 (ろじぱらでも様々なWeb広告を実際に掲載し、各社ごとにレビューする企画がありましたが、(1)他のサイトでもそれはやってる、(2)バリューコマースさえ抑えておけば問題ないことが分かった、などの理由でお蔵入りになってます)
 
 
 
 そのテーマに沿った日想の1つに、5月11日の「Web投げ銭」の話があります。あの話は比較的反響がありましたので、自分なりにもう少し掘り下げてみました。後述しますが、どうやら放っておいてもWeb投げ銭ができる環境は整う、整ってしまうようです。
 
 この文章を書くにあたり、「投げ銭システム推進準備委員会(注:サーバが落ちていることが多々あります)」を参考にさせていただきました。
 
 
 
 個人サイトにある種の「目標」を与えるものと信じて。
 
 
 
 「戯言」に更新。「Web投げ銭について考えてみた」。
 
 
 
 …いろいろ調査し足りない部分とかもあるんですけど、もう疲れたんでアップします。こういう長い文章は得意じゃないです…

日想(2002.06a)

Web投げ銭について考えてみた

個人サイトでの金儲けはタブーという常識を覆した「Web投げ銭
 
―― ろじぱらで特に画期的と思ったのが「Web投げ銭」システムです。ネットでは、個人サイトで金を稼ぐと即座に妬みが発生する傾向がありますが、そこにあえてチャレンジした背景を教えてください。
 
ワタナベ 「モチベーションの維持」という側面はありましたね。アクセスカウンターがいくら回っても、どれだけの人にどれだけ評価されているのかは見えてこないんです。メールをいただくのは本当に嬉しくて、ほぼすべてに返信していますが、ほかにも自分のサイトの価値を確認する仕組みがあってもいいんじゃないかと思いまして。
 
 確かに昔から個人サイトは「完全無料」が当たり前で、広告を載せるだけで文句を言われたりします。でも、多少は金銭的に報われるシステムがあってもいいのかなと考えたんですね。
 
―― この試みは成功しましたか?
 
ワタナベ 開始当初はけっこういただきましたね。でも最近は、かなり落ち着いてしまいまして(笑)
 
 Web投げ銭システムを実践して気付いたのは、ネットでは小額決済が難しいことです。僕としては10円や20円の小銭を投げてくれれば十分なんですけど、銀行振り込みなどでは10円送るのに手数料が100円かかったりします。すごく無駄が多いので、多くのサイトに広がるにはいくつも課題があるでしょうね。
 
 そういう意味では、匿名でサイトに応援の意志を伝えられる、だんでぃ氏の「Web拍手」というサービスは現実的で面白いと思っています。 

http://ascii.jp/elem/000/000/203/203412/index-4.html

 
■2002年当時の反応
『BlackAsh』

◆ サイトから収入を得る方法〜ろじっくぱらだいす「Web投げ銭」 [03:17] 
  以前、「バナー広告は金にならない」と書きましたが、今回ろじぱらさんが提唱する方法は、
『面白いコンテンツを見せてもらったので適当なお金を払う』
という感じ。大道芸人が差し出す帽子にお金を入れるような感覚で、サイトにも「チャリン♪」とお金をあげるんです。これが、ネットバンキングやウェブ上での決済方法の発達により、可能となってきたのではないか、というお話。
詳細はリンク先をご覧になれば十分理解できると思います。とにかく、「投げ銭」を受け容れる窓口をどう設定するか、が最大の問題ですかね。あとは、払いたくなるようなコンテンツを作っていくことかな(面白いサイトの作り方は、ろじぱらさんのこちらのテキストで書かれていますね)。
しかし、ろじぱらさんが提唱する「投げ銭」の定義にはちと困難がありかと。
『閲覧者は、現在まで見たコンテンツに対して投げ銭をする・・・ 将来のコンテンツに対しては投げ銭をしない』
とありますが、これはねぇ・・・
ワタナベさんもわかってて、それでもあえて書いてるんでしょうが、大道芸人とウェブサイトの大きな違いは、「継続性」にあります。大道芸人は、たとえば新宿日曜日の歩行者天国で30分くらい芸を見せて、それで「投げ銭」をもらう。また同じ場所に来ることはあまり多くないんじゃないかな(芸のレパートリーに限界があるため、同じ場所でやって同じ観客を相手にするといずれ新鮮味が薄れる)。対して、ウェブサイトはネタ更新(=芸)により存続しますが、それはいつも同じ場所(=アドレス)にあります。だから、同じパターンの更新が続くと飽きるという現象が生じ、故にサイト管理人は日々ネタのひねり出しに苦労しているわけです(笑)
つまるところ、ウェブサイトは「恒常的に同じ場所にある」というインターネットのシステム上不可避的な拘束を受けざるを得ない。そうであるにもかかわらず、
『閲覧者は将来のコンテンツに期待して投げ銭してはいけません。今あるコンテンツを見たことに対して投げ銭をしてください』
というのは、少なくとも今はムリでしょう。閲覧者の意識が相当に変化しなければ、これはあり得ない。それを半ば期待して書いてるんでしょうけど、閲覧者は、どうしても、「明日の更新はどうなるのかな」「このネタの続きが気になるな」という意識で来る。つーか、気になるからまた来るし、また来る気にさせるそのコンテンツに価値を見出すケースが相当に多いんだから。
ろじぱらさんの提唱する「投げ銭」、確かにお金は入るかも知れません。けれども、その意識までを変革するには・・・ 少なくとも今は、難しいかも、と思わざるを得ないです。

- BlackAsh -

 
『YUMEGIWA LAST BOY』

02-06-11-TU
 
ろじぱらのweb投げ銭システムについて
今回の件に関してはBlackAshさんの見解が適切だと思いますが、それを踏まえた上で更に自分なりに考察してみたいと思います。まず結論としてボクはワタナベさんの期待通りにはならないと思います。今回一番問題なのはワタナベさんが提唱している考え方(web投げ銭の定義)が正確にかつ確実に普及しないのではないかということです。九十九式の5月19日及び6月6日に誤読者問題が話題が上ったように、送り手(今回の場合は提案者であるワタナベさん)の意図を受け手(これから投げ銭システムを利用しようと考える人達)の全員が正確に理解することは非常に難しいと言えます。更に、初めて「web投げ銭について考えてみた」を読んだ時は、ワタナベさんの意図を正確に理解したつもりであっても、月日が経つにつれ気づかぬうちに「今あるコンテンツに対してではなく将来のコンテンツに対して投げ銭する」という方向に堕してしまう人もいるでしょう。ついでに言えば、ネット上には日本語をロクに理解もできない電波さんも沢山いらっしゃいます。こういった事は大半のテキストサイト管理人や閲覧者には当てはまらないでしょうが、一旦お金が絡むとなるとごく少数の人間が原因でも、大きなトラブルへと発展する危険性を有していると言えます。…ということでボクはこのシステムをテキストサイト界に広げるのに反対です。

http://members.at.infoseek.co.jp/yumegiwalastboy/log/diary/log200206a.html

 
『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』ソースURLは失念

『んじゃ何で俺が揶揄するような真似したかつったら、「拍手を受ける権利」ってのがすげえイヤだったからですよ。「君たち」と呼びかけちゃいるけど、これは自分を鑑みて言っているわけでしょ。そんな権利はありませんよ。己を削って閲覧者を楽しませる義務もないんですから。途中で理屈が捻じれちゃいませんか。「俺はこんなに頑張っているのに!」それを自分で言っちゃあ。好きでやってるんでしょうが。違うならやめりゃいいんだから。』

 
『迎賓館裏口』

さて。
結論から先に言っちゃうことにしよう。
柊の結論。
 
Web投げ銭は心情として応援したい試みではあるけれど、このしくみは恐らくそれほど広まらないし、現状では成功と呼べるほどの成果も上がらないだろう。
 
どうして僕がこう考えるのか、続けて書いていくから、興味を持った人はもう少し付き合ってね。
 
まず、個人ホームページが対価を得るには「インターネットに公開したコンテンツは無料で提供されるべきだ」と云うイデオロギー(思想)を克服しなければいけない。
ここで問題になるのは、このイデオロギーを克服するのは「読者」の側で、投げ銭を提案する「作者」じゃないと云うことだ。
自分の考えは変えられても人の考えを変えるのは難しい。
 
次に、一定数以上の読者が集まるサイトでは必ず出てくるであろう「クレームメール」の問題。
僕が思うに、ろじっくぱらだいすの「Web投げ銭について考えてみた」の中で最も重要な文章は
ろじぱら的Web投げ銭の定義なんじゃないかな、と思うんだけど、果たしてたとえ少額でも金が動くのに対してすべてのケースがこんなにスマートでいられるだろうか。
ひとがひとにお金を出すってのは、なかなかキレイに済まないんだ、残念だけど。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/backentrance/ohanasilog/talk002.html

 
『はるのネット一人旅』

ろじっくぱらだいす」があえてWEB投げ銭を提案したのを見た時、しみじみしてしまいました。
 
「お金より反応のほうがほしいんですね」

ホームページ移転のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズ

 以前、「ろじっくぱらだいす」の「Web投げ銭」についてを書いたときには提唱している形での実現は難しいのではないかと思っていました。WEB投げ銭を提唱し、実現に向けて地道に様々な方法を探しつづけるワタナベさんに別のワタナベさんを見た思いでした。
 
 
 
「くすりと笑える、自虐系、下ネタ大好き」のワタナベさん。面白いと思いましたし、毎日楽しみにしていました。
 
ただ、ヴァーチャルネットアイドル的というのでしょうか。いくら自虐的なことを書いていても、「ワタナベさん」という人間はつくられたキャラクター。存在しないような気がしていました。
 
「隙がなさ過ぎて、怖い」と評した批評サイトもありました。楽しいホームページをつくり、運営するのは簡単なものだというイメージを与えたのが「ろじっくぱらだいす」の功罪とも書いていました。
 
確かに毎日更新、面白いネタ(面白くないと言われるときも「ろじっくぱらだいす」としてはであり、ほかのところで見たらとりあえずブックマークしようかなのレベル) を簡単そうにされ、自信をなくしたホームページオーナーさんも多いのかもしれないと思います。
 
←「エンタティメントとしてのホームページ」をつくろうとした方々の話です。
 
 
 
それが「WEB投げ銭」の頃から「ワタナベさん」という人間の存在が浮き出てきたように感じます。ヴァーチャルネットアイドル「ワタナベさん」としてでなく、オーナー「ワタナベさん」の存在が少しづつですが、見えてきたように思えます。

ホームページ移転のお知らせ - Yahoo!ジオシティーズ

 
『VNSI堕天使の槍(やえ十四歳)』

 オレはやりますよ、これ。
 参加表明です。
 だってお金欲しいんだもん(笑)
 というのは半分冗談ですが、だって「ネット思想家」だなんて言ってこんな小難しいアクセスも回らないようなサイトが、金儲けになるわけがないじゃないですか。
 でもね、やっぱりモチベーションが上がりますよ。
 特に、逆に専門的小難しい内容ですので、アクセス数以上に濃い評価を与えていただけるのではないかと妄想しているんです。
 大見得を切ると、「侍魂の一アクセスより、堕天使の槍の一アクセスの方が重い」と言いたいわけです。
 もちろん妄想です。
 でも、そういう夢を見てモチベーション上げるのも手だと思うんですよ。
 なんだかんだ言って「ろじぱら」の投げ銭のページ読んだら3秒後にこの文章書いてるんですから(笑)

 
『YAMDAS Project』

 日本においてマイクロペイメントを推進する運動としては、投げ銭システムが最も有名だが、成功しているとは言えない。この文章を書いている時点で、そのトップページに「現在は投げ銭出来ません」と明記しているぐらいだもの。
 
 投げ銭システムに対する批評として、山形浩生による「投げ銭青空文庫と:電子テキストについて考える」がある。これは以前にも少し書いたことがあるのだが、この文章における松本功によるフリーソフトウェア批判への反論、フリーソフトウェア青空文庫の関連性の分析はともかく、投げ銭システムに対する批判の部分には少しおかしなところがある。少なくとも松本功は既存の集金システムに対するオルタナティブを目指していた(いる?)のだから、郵便振替でいいだろうというのははなから違うはずだし、「価値があると思うやつは5000円振り込め」というのができないのが「loser文章」と断じるのも議論上粗雑過ぎる。人の実際的な金銭感覚なんて結構いいかげんだし、時期性にかなり影響されるはずだ。例として挙げている布施英利のメールマガジンなんてその好例だろうに。
 
 ただ山形浩生が「さもしい」という言葉で表現している、金銭を要求することに対する心理的なハードルは確かにある。僕自身がそうしたシステムを利用しないのは、単に金銭を目的・想定して文章を書いていない、ただそれだけなのだが、この「心理的なハードル」は無視できない。
 
 ただ状況もこれから大きく変わるかもしれない。ろじっくぱらだいすにおいて公開された「Web投げ銭について考えてみた」が契機となってこの問題が議論されているからだ…などと書きながら僕はいわゆるテキストサイト界に興味がなく、ろじぱらを含む有名どころすらほとんど巡回していないのでその議論の詳細を知らないのだが、いずれにしろ有名サイトが取り上げただけでこれまで沈滞していたものが一気に活気付くというのも皮肉であり一面愉快でもある。
 
 現状 eBANK でおひねりというのがベストであるようだが、確かにこれで日本版 PAYPAL が実現し、ユーザがはじめから「そういうものだ」と思えるところまで持っていければ、ユーザのマイクロペイメントに対する心理的抵抗も変わるかもしれない。
 
 ただ上にリンクした文章にしても、トラブルが起きないためのユーザ側、サイト作成者側それぞれの気構えについてわざわざスペースを割いて書かざるを得なかったわけで、そうした十分な前説が必要な時点で既に難しいのではとも思う。このままでは、口座を持つのはウェブサイト作成者だけになり、投げ銭という仕組みが彼ら(テキストサイト界?)の馴れ合いと政治の道具にちまちま利用されるだけに終わりかねない。すぐにウェブサイトの面白さの指標化といった方向に話が進むのもそういった匂いを濃厚に感じるし。

どうでもよいことにこだわってしまう

 
私の記憶が正しければ「試みとしては面白いが成功はしないのでは?。また、『ろじぱら』のような超大手しか投げ銭はしてもらえないのでは?」という反応が当時は多かった。